「 君がいないと5 」



「目が覚めたら、病院でもなくて、俺んちでもなくて。ぼんやり天井を眺めてたら田島んちのねーちゃんがゆーくん大丈夫?って。」
熱出してたらしい、と花井は思い出すように、空を仰いでいた。
「俺が田島になってるって理解すんのにかなりかかったよ。でも阿部の言葉でなんか納得したな。」
「俺?」
うん、と花井は頷いた。
「お前が来ないと始まんねぇって。」
ああ、確かにそう言った。
花井が事故に遭って、田島まで練習に来ねぇとうちはガタガタになると思ったから。
「そうか俺、田島なんだなって思った。花井梓じゃねぇんだって。田島いなきゃ、確かに始まんねぇよな、うちは。」
あの時、一瞬凍り付いたような表情を見せた。
今にして思えば田島らしくはなかった。
俺は俺で一杯一杯だったから…全然気が付かなかった。
今となっては言い訳だけど。


「いざ田島として行動してみると…なんつうかな、今更だけど田島の凄さを味わったな。」
花井の瞳が、悲しそうに陰る。
「田島の凄さって…例えば何だよ。」
「ん〜野球するための全てが田島には備わってる感じ。」
そう言うと、花井はシャドウで素振りをしてみせた。
「ボールに対する身体の反応。反応してからの身体のキレの良さ。動体視力が半端ねぇのもよく分かった。」
今度はサードの守備をして見せる。
「田島の身体が記憶してるサードの守備だって、キャッチャーにしたってそうだ。俺が想像してたより遥かに上だ。」
「花井…」
「いや、楽しかったぜ?だって俺、田島になったんだもんな。夢が叶ったんだ。」
無理矢理笑ってるのがよく分かった。
そもそも笑える話でもないのに、こんな時まで笑顔でいようとする。


「花井、笑うな。」
「…へ?」
「おかしくもねぇのに笑うな。それ、お前の悪い癖だ。」
ハッとしたように口元に手をやる。
でもやっぱり困った笑顔で、そうだなと言った。
そんなとこ、しっかり花井で、やっぱり田島ではないと認識した。


「そう言えば…お前、自分と田島、使い分けしてたよな?」
田島にしか見えない時と、花井と分かる時と。
演技にしては出来過ぎてる感じだった。
ああ、それな、と花井は笑った。
「田島として生活って、どうやんだよって思ってたけど、なんかこう…身体が田島をちゃんと記憶してるっつうか…意識すると田島らしくなるんだよ。」
びっくりするよな、と相変わらずの笑顔。


その笑顔が、凍り付く。


「なあ、田島は…どこへ行ったんだ?」


その一言に衝撃を受けた。
そうだ、確かにそうだ。
田島の中にいるのが花井なら、田島はどこへ行ったのか。
「田、島…いねぇのか?そこには。」
「…何度も呼んだけど、返事がねぇんだよ。」
右手で胸の辺りをトントンと叩く。
「俺、どうしたらいいのか分かんねぇ。田島はどうなっちまうんだ?」
「んなこと…」
分かんねぇ。
分かるはずねぇって。
俺も花井も、今この状況が半信半疑なのに。


「最近…な…」
ぽつりと花井が言う。
「記憶が曖昧っつうか…何で俺こんなこと知ってるんだ?ってことがあるんだ。多分田島の記憶なんだと思うんだけど。」
俺と田島の境界線が無くなりかけてる気がすんだよな、と力なく言う花井。
俺はこのまま田島になるんだろうか、と。
田島の記憶なのか自分の記憶なのかよく分からない。
自分は確かに花井梓だが、その自信さえ確かなものでなくなっていく不安。
目が、誰をも見ていない。
焦点の合っていない目。


俺は何を言ってやるべきなんだ?
何をしてやればいい?
お前が田島になんて、そんなん無理に決まってんだろって怒鳴ってやるべきか…
そうなんだろうけど、今の花井にはそう言ってやる気にはなれなかった。

 


「俺、田島でいいって思ってた。田島なら、俺は幸せだって。」
「…んな訳あるかよ。」
だって、と俺の方を見る花井の目は、やはり焦点があっていない。
「そう思ってた。それくらいすげぇ感覚だったんだ、田島の身体って。これ、俺のもんになるんだって…実は喜んでた。」

 

愕然とする。
これがあっさりとスルー出来る訳がない。
「花井…お前…」
「分かってるよ。そんなん許されねぇって。田島は田島で、俺は俺だ。」
それでも俺は田島になりたかったんだ、と今度はしっかり真っ直ぐ俺を見つめた。
ここに、西浦に必要なのは花井梓じゃねぇ、田島悠一郎なんだってはっきりと言った。


本気だ。
花井は本気でそう思ってる。


そう思ったら、俺は無性に頭に来て。
ふざけんな、人がどんだけ心配したと思ってんだ、勝手なこと言いやがって!


気が付いたら、俺は花井の胸ぐらを掴んでいた。






 2012.03.12



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