『誘う瞳』
「花井、田島と三橋見て貰ってもいいかな。」
「あ…ああ。」
西広に呼ばれて立ち上がる。
チラッと阿部を見ると、俺を見上げるその視線は刺すほどに痛いものだった。
またやっちまったか。
阿部の反応が可愛いからついついやってしまう。
田島と三橋の前に座って2人の様子を見てやる。
…オイオイ。
テストは週明けからなんだけどな。
こりゃかなり頑張らないとヤバいな。
ため息をついて顔を上げると、阿部は水谷と沖に何やら説明していた。
あんまりくっつくなよ、なんて思ってしまうなんて、俺器が小さいよな…。
思い出していたのは、何も阿部だけじゃない。
阿部とのキス。
俺だって、思い出していた。
だけど、二人して赤い顔してたら明らかに変だろ。
阿部を茶化したのは、そんな自分を誤魔化すためだった。
だけど。
身体の奥から沸き上がってくる…なんつうんだろう。
キスしたい…って感情。
阿部の唇の熱とか、抱き締めた感触とか。
…ああなんかヤバイ。
こんな状態で勉強なんか出来ねぇよ。
「んじゃ二人とも、この問題やっててくれ。三橋、洗面所借りていいか?」
「あ…う、うん。どうぞ。」
「なんだ、花井。どうかしたのかー?!」
田島が心配と言うより、興味津々な顔をして聞いてきた。
「…お前らが赤点採らないように、気合い入れてくんだよ!」
田島の頭をぐしゃぐしゃっとしてやると、田島はえーっと叫び、三橋は目を白黒させて、
部屋は笑いの渦に包まれた。
ただ一人、阿部を除いて。
不機嫌そうに俺を見ていた。
気にはなったものの、そのまま部屋を出て、洗面所に向かった。
冷たい水で顔を洗って、冷静な自分を呼び戻す。
はあ…。
なんか、がっついてんのかな、俺。
深呼吸をして、頬をパチパチと叩いて。
今は集中しないと。
洗面所を出て、人の気配に顔を上げる。
「…阿部…。」
らしくない…と言ったら阿部は怒るだろうか。
それくらい、不安そうで自信なさげな表情をしていた。
「…どうかしたのか?」
そう聞いても阿部は答えなかった。
ただ、その瞳は…
(誘って…る?)
抱き締めて欲しい、キスして欲しい。
マウンドでしか見たことがない、阿部の要求する目。
衝動が、身体中を駆け巡る。
抱き締めたい、キスしたい。
手を阿部に向かって伸ばしかけて、グッと拳を握り締めた。
ま、待て、落ち着け俺!
ここは三橋んちだぞ!
みんながいるんだぞ!
ふるふると頭を振り、深呼吸する。
辛うじての理性が俺を冷静にさせた。
そんな俺を見ていた阿部は視線を下に落とし、少し躊躇った後にはっきりとした口調で言った。
「今日、花井んちには行かない。」
「…え?!」
「…俺んちに来いよ。」
「阿部んち?」
阿部はあまり自分の家に俺を呼びたがらない。
阿部の弟が、俺を慕ってるのか部屋に入り浸るから二人きりになれないからだ。
「…別に構わねぇけど…」
阿部はちらりと俺を見ると、俺の横を通り過ぎて洗面所に入ってしまった。
その後の阿部は、俺を見ようとしなかった。
意図的に見ないようにしてる、そんな感じで。
正直ありがたかった。
あの阿部の目を見てしまったから。
自分の理性が働かなくなるのが恐かったから。
勉強会が終わり、みんなが口々に疲れたと言い。
だけど俺と阿部は何も言わずにいた。
じゃあな、と家に向かう振りをして途中で引き返し、阿部の家に向かった。
何だか様子がおかしかった阿部。
もちろん俺だって阿部から見たらおかしかったかもしれないけど。
阿部んちじゃ、何も出来ない、かな。
残念な思いはあったものの、それが阿部の気持ちなんだと思った。
阿部は家の前で待っていてくれた。
「お待たせ。」
「…おう。」
相変わらず、俺の顔を見ようとしない阿部。
怒ってんのかな、あのこと。
「あの…阿部?」
「今日さ、誰も居ねぇんだよ。」
「…は?!」
誰もいない?!
「な、なんで?!」
「ばあちゃんとこ、みんなで行ってるんだ。」
思いもよらない阿部の言葉に、俺の理性は音をたてて崩れ落ちていった。