「 気付いて欲しい1 」
「お、阿部。こんなとこにいたのか。」
「ん?…なんだ、花井か。」
なんだって…と花井は苦笑いした。
誰もいない教室。
1年7組。
俺のスタートの場所と言っていい。
同じクラスに花井を見つけた時はちょっと嬉しかった。
新しい野球部に花井くらいのバッターがいてくれたら頼もしい、そう思った。
声をかけて誘うと一瞬躊躇し、とりあえず見学な、と言った。
当然かもしれない。
西浦には硬式野球部があると言う認識はないはずだから。
ここに入学したと言うことは野球をするつもりはなかったと言うことだ。
「監督 女ってありえねーだろ。別にオレ野球じゃなくてもいいしー…」
「見たカンジでかいの打てちゃうけど?」
「言い訳じゃねぇ!浮いたんだよ!!」
「行けるとは言い切れなくても 一応目指せよ!!」
ひとつひとつの言葉に、花井の性格が表れていた。
自信過剰で分かりやすいヤツ。
でも、憎めないヤツ。
野球漬けの毎日。
苦痛と思ったことはなかった。
三橋。
あいつには感謝している。
バッテリーは一心同体とはよく言ったもんだ。
だけど三橋とはなかなか上手くコミュニケーションがいかなくて…
とにかく三橋にかかりっきりだった。
副キャプの癖にほとんど花井と栄口に任せてしまっていた。
一度だけ、花井に「悪いな」と言ったことがある。
花井のヤツ、酷くビックリした顔をして、それから笑顔になって、
「気にすんな。三橋のこと、頼んだからな。」
って、肩をポンポンと叩いた。
何故か、心が痛かった。
なんで?
なにが?
あの胸の痛みが、今も心に引っ掛かっている。
「どうかしたのか?」
花井の言葉に我に返る。
「あ…いや、もう卒業すんだなって思って。」
「え?阿部でもそんな風に思うのか?」
「悪いか。」
「いや。でもちょっと意外。」
坊主頭に手をやり、嬉しそうに笑う。
「花井って…なんでハゲなんだ?」
「ハゲじゃねぇ!!坊主だって何回言わせんだよ!!」
「どっちでも同じだろ。」
「違うだろっ!」
ああ、いやいやそうじゃなくて。
「じゃあ、なんで坊主なんだ?」
「なんでって…」
おお、明らかに動揺してる。
なんだろ、こういうのってなんか突っ込みたくなる。
「…うちの母親が…野球するなら坊主頭でしょって…」
目が泳いだ。
ホント分かりやすいヤツ。
「花井入学した時も坊主だったろ?野球やんないつもりだったんじゃねぇの?」
「ああ…うん。」
「今だって野球部は引退したし、大学でするにしたって、普通坊主にはしねぇよ?」
軽く下唇を噛む。
花井の癖。
ちょっとイラついた時の癖。
言いたくない話だったのか。
悪いことしたな。
「あー…悪りぃ…別にいいよな、んなこと。」
花井がハッとした顔をして首を振った。
「や…違う、違うんだ。」
それから少し迷ったような顔をしてから、
「誰にも言わねぇ?」
と聞いてきた。
頷くと花井は話し始めた。
俺な、色素がちょっと薄いらしくて…肌なんかも日焼けしてる間は分かんねぇかもしんねぇけど、結構白いんだよ。
肌だけなら色白で済むんだけど…
俺、髪も色が薄いんだ。
薄いっつっても普通なら茶色っぽい感じになると思うんだけど……俺は…なんつうか、灰色?グレーなんだよな。
んで、ガキん時、随分とからかわれたんだ。
じいさん、じいさんって。
子供心に辛くてさ、一時期うちから出られなくなっちまって。
そん時…スゲー仲良かったヤツが誘ってくれたんだ、野球に。
アズ運動神経いいから絶対にいけるよ!!ってな。
母さんは喜んでやらせてくれて、野球少年なら坊主頭よって坊主にしたんだ。
野球自体スゲー面白いし、坊主にしたらあんま分かんなくなったせいかじいさん言われなくなるし、
なんか救われたんだよな、俺。
「野球にか。」
そこまで黙って聞いて、ようやく質問する。
んー、それもそうだけど、と言ってから懐かしそうに想いを馳せる顔をした。
「あいついなかったら、野球してなかったもんな。」
「ふうん…」
なんだ、なんだろ。
なんか気に入らねぇ。
「まあ、髪は伸ばしても染めりゃいいんだろうけどな。」
「だな。」
「でもなんか…伸ばせなくて。」
「なんで?」
花井が意外そうな顔をした。
「珍しいな。」
「あ?なにが。」
睨むなよ、と花井が笑う。
「俺のことなんか、興味ねぇんだと思ってたから。」
冷たい水を、浴びせられた気がした。
全身が凍り付くような、そんな感覚。
「だってお前って三橋三橋でさ。俺のことなんか、全然知らねぇだろ。」
つか興味ねぇだろ、と花井は笑う。
「んなこと、」
「あるよ。」
相変わらず優しい笑みで。
でも、なんか他人行儀で。
胸が痛んだ。
あの時と同じ痛み。
「忘れらんねぇの。辛かったことがな。髪伸ばすのってスゲェ抵抗感があんだ。」
一呼吸、置いて。
「…怖いんだよ。」
その瞳が、悲しみを湛えているように見えた。
胸が締め付けられる。
切なくて、悲しい。
同時に自分に腹が立つ。
俺は花井の何を見てきた?
何故興味を持たなかった?
こんなにも近くて、一緒にいるのが当たり前と思える存在を。
花井がふっと笑っていつもの顔に戻る。
「俺のことはいいよ。みんな待ってるぜ。」
「…」
そうだ、今日は野球部のみんなで謝恩会何するか相談するんだった。
「…俺、行かねぇ。」
「はあ?!何言ってんだよ?!」
「行かねぇ。つか、行けねぇ。」
「…なんで。」
そうだよ、気が付いた。
俺は花井に興味を持たなかった。
意図的に。
無意識に。
「なんでって…言わすな。」
「…阿部、訳分かんねぇ。」
盛大に溜め息をつかれ、なんだか酷く腹立たしかった。
「アズ…か。」
「あ?ああ…昔そう呼ばれてたんだ。」
そうだ、俺は花井の事を何も知らない─────。
何もかもが腹立たしくて、頭ん中がモヤモヤとして眩暈がした。
俺はおもむろに花井の胸ぐらを掴むと引き寄せ、驚いている花井に向かって言った。
「…ハゲに俺の気持ちは分かんねぇよ。」
至近距離の顔。
戸惑う瞳。
ああ、ホントだ、少し薄い色をしている。
綺麗なグレー。
俺は花井にキスをした。
そして突き飛ばすように手を離すと、花井の顔も見ないで教室をあとにした。
花井が俺を呼ぶ声が何度かしたけど、俺は振り返らなかった。
唇に、切ない感触だけが残っていた。
謝恩会の打ち合わせには行かなかった。
行けなかったんだ。
行ける訳がなかったんだ。
◇ 自分の気持ちが分からない。
不安で堪らない、阿部。
2010.02.21
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